生き残る者と死んだもの。次の物語へ:水滸伝19 [小説]
十六巻のエントリはこちら
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十七巻のエントリはこちら
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十八巻のエントリはこちら
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第十八巻のエントリではラストが駆け足になるのではないかと言う恐れを表明したが、それは間違いであった。
このすばらしい物語の最後にふさわしい、堂々たるラストである。
北方水滸伝の最もすばらしいところは、伝承のつぎはぎで筋が通らない箇所が多かった水滸伝をきっちりと作り直し、ストーリー性の豊かな小説に仕立て上げたところである。
そのすばらしいストーリーに、北方謙三の持ち味である漢の生き様を貫く個性豊かな登場人物が花を沿え、近年の歴史大作小説として最高の出来の小説が出来上がっている。
最終巻となる本書では、梁山泊が落城し、主である宋江は命を落とす。今までは周囲に流され、自分を殺すことが多かった宋江だが、本書では今まで秘めていた熱い重いがにじみ出てくるような見事な最後を見せ、最高の最後を飾る。
結局、梁山泊の好漢達は知恵も、力も、信念も持っていたが、宋軍の物量の前には屈してしまう。梁山泊の敗北は紙一重であるシーンが描かれているが、それでも、この敗北は必然であったと思わせる。
それほどまでに現状を維持する慣性ともいうべき力は大きいのだ。
このことは現実世界でも痛感することが多い。
そうした結末を見ても、現状を変えようと努力し、散っていった男たちが美しく思えることは変わらない。だからこの物語は最高なのであろう。
現状を変えようと努力したシーンを描く北方謙三は団塊の世代であり、ロストジェネレーションの私とは見ているところが違うのは事実だ。団塊の世代が過去に見た夢と現在の若者が感じている閉塞感に差はあるのだが、そういった背景を知っていてすら引き込まれる。すばらしい小説である。
一方で、原作の水滸伝と異なり、落城と言うラストを迎えた後でも生き残った好漢は多い。生き残った者達も死に損なったと言う雰囲気ではなく、替天行道の志を胸に抱いている。
こうした美しく死んだものと、思いを胸に生き残ったもののコントラストがすばらしく、生き残ったものがこれからどうなるのかと言うところに自然と興味がいく。
こうして「楊令伝」に繋がっていくのだろう。
最後の宋江の台詞はそれをはっきりと示してる。ラストと次へのつながりを象徴する台詞だ。
このエントリの締めくくりとして引用する。
宋江が楊令に形見となる旗を渡しながら。
「おまえしかいない。私は、これを渡すために、おまえを待っていたのだ。襤褸のようになった、古い旗だ。『替天行道』と私が書いた」
☆☆☆☆☆(星五つ。物語のすばらしさに敬意を称して。)
他のブログの反応はこちら等。
楊令伝への期待を語っているblogが多かったですね。やっぱりこのラストだとそういう期待は高まるよ。
http://yokoryu.exblog.jp/8126386/
http://books.lylyco.com/2008/04/19.html
http://mitsu.air-nifty.com/blog/2008/04/post_9c82.html
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