涙ぐましい努力の跡:碁打ち・将棋指しの江戸―「大橋家文書」が明かす新事実 [将棋]
碁打ち・将棋指しの江戸―「大橋家文書」が明かす新事実 (平凡社選書)
- 作者: 増川 宏一
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1998/07
- メディア: 単行本
今の日本で囲碁・将棋が伝統芸能の面を持つことに意義を持つ人はさほどいないだろう。
しかし、囲碁・将棋の伝統が始まった頃はどういう扱いだったのだろう?
そもそも、囲碁と将棋では全然ゲーム性が異なるのに、何故並べて扱われているのだろう?
そういった疑問に答える一助となる、江戸時代の将棋・囲碁のプロについて書かれたのが本書である。
【目次】
はじめに
第一章 新事実の発見
第二章 勤仕の真相
第三章 奥御用と将棋所
終章 碁家・将棋家の困惑
おわりに
本書は江戸時代の将棋家、大橋家の文書を元に書かれている。
それによると、今の常識からは考えられない江戸時代の将棋・囲碁の実態が分かる。
まず、現代の将棋タイトルの中でもっとも歴史と伝統がある「名人」だが、これは幕府から許された名称ではなく、将棋家(大橋本家、大橋分家、伊藤家)が勝手に「名人・将棋所」の名称を自称していたのである。
自分でかっこいい役職名を考えて自称するという、中二病丸出しの所行であったのだ。
ちなみに、幕府から給料(扶持米)を貰うときの正式名称は「将棋の者」。確かになんだかしまらない。
幕府は公式文書に将棋所・碁所の名称を使うことはなかったが、将棋家・碁家が勝手に将棋所・碁所を名乗っても実害がないので放っておいたらしい。
そのほかにも、将棋家は3家の中で縁組みを繰り返していたため、仲がよかったが、碁はそれぞれの家で養子を取っていたため派閥争いが頻繁にあった事実や、将棋・囲碁の者は事ある毎に自分たちの地位を高めようと、根拠のない主張を繰り返してきたことなども描かれている。
将棋・囲碁の者は医師と同格であると主張し続け、明治時代になる直前にやっと認められたという涙ぐましい努力の跡がうかがえる。
その他、御城将棋・碁は事前に指された棋譜をその場で再現するための儀式の場であったことなども描かれている。将軍が同席することもほとんど無かったらしい。
時代劇等で江戸城においてプライドをかけた勝負が行われているようなシーンは大嘘であったのだ。
このように、江戸時代の将棋・囲碁は芸能で幕府に仕える者であるが、能等に比べると、歴史が浅く扱いは悪かったようだ。そうした新参の芸能の担い手である将棋・囲碁の者は自らの技量を高めるとともに、涙ぐましい努力を続け将棋・囲碁の地位が上がるように不断の努力を行ってきた。
その結果が、伝統芸能として異論を挟まれることのない現代の姿につながっているのである。
江戸時代初期の名人大橋宗桂が現代の名人羽生善治の姿を見ると、自分たちの努力が実ったことをうれしく思うのではないだろうか。
☆☆☆★(☆三つ半)
古い本なので、他のBlogで本書に触れたエントリは見つかりませんでした。
ただ、タイトルからは同様と思われる新書も出ているので、興味を持った人はそちらを試すのがよいだろう。
将軍家「将棋指南役」―将棋宗家十二代の「大橋家文書」を読む (新書y)
- 作者: 増川 宏一
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2005/02
- メディア: 新書
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