リバタリアンv.s.コミュニタリアン:自由主義の再検討 [哲学]
新書にしては歯ごたえのある一冊。
正直、私も本書を十分に理解できたかどうかは自信がない。
それでも、一冊読むと知的レベルが上がることを実感できることもまた事実。
【目次】
序章 自由主義は勝利したか
第1章 自由主義はどのようにして正当化されたか
資本主義の正当化
議会制民主主義の正当化
功利主義の正当化
第2章 社会主義の挑戦は何であったか
政治的解放の限界
私有財産と疎外
市場経済と搾取
第3章 自由主義のどこに問題があるか
社会主義の失敗
自由主義の陥穽
終章 コミュニタリアニズムに向けて
本書は大雑把に言うと、経済(資本主義)、政治(民主主義)、道徳(功利主義)の3つの点から自由主義が正当化されてきた経緯を明確にしつつ、そこで明らかになってきた自由主義への修正・対抗として社会主義とコミュニタリアニズムを取り上げる。
タイトルは「自由主義の再検討」だが、自由主義が正当化される中で明らかになってきた格差や環境破壊といった問題を念頭に、自由主義への挑戦・修正が描かれていることが高ポイント。
今の日本の政治では、小泉総理時代の自由主義に対する修正が模索されているが、思想の面から自由主義の修正を検討した本書は少し古い(1993年)本で有りながら、現在を考える上での手引きとなりうる。
本書における資本主義への挑戦としては、①社会主義と②コミュニタリアニズムが取り上げられているが、①社会主義については、既に失敗が明らかになったものとして、その問題点がきちんと総括されているのも素晴らしい。
現在の日本では、自由主義への修正として社会主義を求める政治的勢力が強いように思われるが、その点に関して言えば、現在の政治は1993年の筆者に追いつくことすら出来ていない。
本書において筆者は、自由主義・リバタリアニズムは最上のものではなく、②コミュニタリアニズムの観点から修正が加えられるべきだと主張する。
本書においては、コミュニタリアニズムの説明が薄いのは気になるが、それでも、自由と同様に共同体への帰属・尊重を主張するコミュニタリアンの考え方は自由主義を修正するとすれば、現時点で一番良い方法であることは理解できる。
現在日本の政治には、社会主義と保守を主張する多くの政治家と自由主義を主張する少数の政治家が存在する。この中で、”保守”というのはイマイチ定義がハッキリしない(強いて言うなら老人に媚びた懐古主義か?)。
だとするならば、”保守”の政治家はコミュニタリアニズムに近い主張をするのが、多くの人に受け入れられる近道なのではないだろうか。
と、私はどちらかというと政治に近い観点から本書を読んでみたが、リーマンショックなどを契機に経済の面でも資本主義への修正・制限が求められている現在において、本書は時代を読み解くガイドとして十分に活用できる一冊。
一義的には思想の本だが、実社会と併せて考えることが出来る材料を提供してくれるので、空論ではなく実を伴っている。
若干難しいが、読書家の人なら挑戦する価値は十分に存在する。
☆☆☆☆★(☆四つ半)
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発売から20年近く経ってなお色あせない本書。
良い本はいつまでもその価値を失わないことを証明している。
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