幸福について考えることの意味:幸福の研究―ハーバード元学長が教える幸福な社会 [科学]
日本人の多くはは「物質的な満足より精神的な満足」といった標語が大好きだ。
ブータンが国民総幸福量を指標として、国家運営を行なっているという事実も知られてきていることもあり、経済よりも幸福を重視した国家運営を求める意見は多い。
では、幸福を重視した国家運営とはどういうものなのだろうか?また、最近増えてきている幸福についての研究は意味があるのだろうか?
その答えが本書にある。
【目次】
第1章 先行研究からの知見
第2章 幸福研究の信頼性
第3章 政策立案者は幸福研究を利用すべきか
第4章 成長の問題
第5章 不幸等にどう対処すべきか
第6章 経済的苦難の脅威
第7章 苦痛を軽減する
第8章 結婚と家族
第9章 教育
第10章 政府の質
第11章 幸福研究の意義
本書は幸福についての研究結果を述べた本ではない。
幸福を研究することの意味と、その研究を国家運営に活用することの可否・意義を語った本だ。
まず、幸福を研究することにどんな意味があるのだろうか?
豊かになる、結婚する、子供が生まれるなど幸福になるための原因はあまりにも自明のことが多く、わざわざ研究する意味などないように思える。
が、研究する意味は十分に存在するのだ。
なぜかというと、人間はどんな時に幸福になることができるか、自分でもよくわかっていないから。
例えば、常識では新しい家を買うと幸福になるように思える。
ところが、研究結果はその思い込みを否定する。新しい家(車・洋服などなんでも)を買っても一時的に幸福になることはできるが、その幸福にはすぐ慣れてしまい、トータルで見ると幸福度は向上しないことが明らかになっている。
その他にも、幸福になる・不幸になると思っている行動の多くは思い込みで、本当に幸福になるための行動との区別は意外と難しい。
だからこそ、幸福についての研究を行う意味があるのだ。
では、その研究を国家運営に活用することは可能なのか?
本書はタイトルにもあるように、ハーバード大学の元学長が書いた本なので、米国社会を例に取っている。
そして、結論は現実的にはハードルが高いが、十分可能というものだ。
幸福研究を活用するというと、多くの人は政治がその主体となることを思い浮かべるだろう。
もちろん、立法・行政が幸福研究を活用できる余地は多い。
だが、それと同じかそれ以上に教育機関においてはその活用の余地が大きい。
長期的に幸福になるためには、経済的な満足よりも、人や社会とのつながりや運動の習慣、芸術を愛する心の豊かさといったものが重要になる。
ところが、今の大学は就職予備校となっており、本当に人生を豊にする教育を授けられていない。というのが筆者の主張だ。
これはあくまでも米国の例だが、日本でもその提言は当てはまるだろう。
本書は「ショッキングな事実→最新の研究例」という学問を一般に紹介するための本と違って、やや固めに書かれているのでとっつきにくいところがある。
だが、読んでみると味わい深く、人生について見つめなおすいいきっかけとなる。そんな一冊だ。
☆☆☆☆(☆4つ)
他のBlogの反応はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20120212/1329053901
http://d.hatena.ne.jp/mailonesgh/20120328/1332939804
http://blog.livedoor.jp/pipsget/archives/2738106.html
なお、本書には哲学的な見解も多く示されており、マイケル・サンデルの本などとあわせて読むとまた違った読み方ができるだろう。
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