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同じ時代を行きても見ているものはぜんぜん違う:ロスジェネはこう生きてきた [エッセイ他]


ロスジェネはこう生きてきた (平凡社新書 465)

ロスジェネはこう生きてきた (平凡社新書 465)

  • 作者: 雨宮 処凛
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2009/05/16
  • メディア: 新書



タイトルこそ「ロスジェネはこう生きてきた」となっているが、ロスジェネの一人である筆者:雨宮処凛がこう生きてきた。という自伝のような内容だ。

その証拠に、同じ時代を生きてきた私(筆者とは1歳違い)とはエピソードに対する思い入れが全然異なる。
例えば、筆者が思い入れを持って語る岡田有希子について私は何も覚えていないが、彼女の死と同じ年(らしい)に山本浩二が東尾修から日本シリーズでホームランを打った様子はよく覚えている。

このように全然共感するポイント、覚えているポイントが異なるのだが、それでも同じ時代を生きてきたものとしてはなんとなく気になる内容だ。

【目次】
まえがき
第一章 一九七五年生まれの生い立ち──豊かな日本と「学校」という地獄
第二章 バンギャとして生きた高校時代──野宿と物乞いとリストカットで終わった「バブル」
第三章 一九九五年ショック──『完全自殺マニュアル』からオウム事件へ
第四章 バブル崩壊と右傾化──小林よしのりと「日本人の誇り」
第五章 「生きづらさの時代」──世紀末から二一世紀の日本へ
第六章 ロスジェネが声を上げはじめた──二〇〇五年から現在、そして
あとがき


冒頭にも書いたが、筆者と私の生きてきた時代は一緒でも、心に残ったエピソードは全く異なるものだ。
出身地・性別・家族状況などがその違いを作ったのだろう。

例えば、本書には学校は競争の場であり、ライバルは蹴落とすのが当たり前。という認識があったと筆者は述べている。この認識は私にとってはベタなテレビドラマの中にしか存在しないもので、学校で学ぶ同級生はライバルでもなく高め合っていくことができればいいという存在だった。

また、筆者が1995年の思い出としておおきく取り上げているのはオウム真理教による地下鉄サリン事件。当時東京在住で、その後の活動もオウム真理教信者と重なるような貧困・生きづらさをメインテーマとしている筆者の味が出ている。
が、当時関西に住んでいた私にとっては阪神・淡路大震災が一番のテーマだ。大都会神戸の高速道路が崩壊し、人の世の無常を未成年の私に感じさせた忘れることの出来ない事件だ。

このように、「ロスジェネ」とくくられて、同じ時代を生きてきてもも、感じることは全く異なる。
そういうことを改めて認識できるのは良いことだし、自分とはぜんぜん属性の異なる筆者が時代の節目をどう考えて生きてきたか。それを知るのは純粋に面白い。

☆☆☆★(☆3つ半)

他のBlogの反応はこちら。
http://blog.yukari-akiyama.com/2009/11/post-7543.html
http://racoon.at.webry.info/201006/article_3.html
http://ryoosen.exblog.jp/11256550/
http://d.hatena.ne.jp/yumyum2/20090610/p1
http://uky5424.sblo.jp/article/32746875.html

やや古めの本らしく、書評エントリを検索すると既に更新を停止しているBlogが多数。
Blogの寿命は短いんですね……。






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