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直木賞はリアルへのこだわりで危機に立つ……かも。 [文学賞]

一つ前で、伊坂幸太郎の「死神の精度」について、エントリを書いた。

これだけすばらしい作品を書く作者に、「ゴールデンスランバー」で直木賞は逃げられてしまった。加えて言えば、「死神の精度」も134回直木賞の候補である(このときの受賞作は遅まきながらの「容疑者Xの献身」。私自身は「死神の精度」のほうが圧倒的に面白いと思うのだが)。

直木賞にはリアル幻想と言える悪い点があり、小説はリアルであるべきという古い価値観に晒されているように思えてならない
古くは渡辺淳一や井上ひさしは受賞できたのに、星新一、筒井康隆は受賞できていない。受賞者においても浅田次郎は「蒼穹の昴」はダメで、「鉄道員(ぽっぽや) 」で受賞。

小説とはリアルであるべきという、古い価値観で固まっているので、SFやファンタジー、歴史上の人物が脇役で出てくる小説は大体NGとなる。
昔はおそらく推理小説も非リアルと思われていたようで、松本清張はNGだった。近年は推理小説はリアル性の面でOKになったらしく、宮部みゆき、桐野夏生、高村薫、東野圭吾あたりは受賞できている。
横山秀夫はリアル性の面で、重箱の隅をつつかれたせいで「半落ち」で受賞を逃し、その後いろいろこじれて直木賞と決別宣言してしまったが。

でも、小説でリアル性にこだわる意味はほとんど無意味だ。リアルを装っていなければ物語に没頭できないというのは読み手の能力が低いからで、初手からリアルさを放棄していても面白い作品は面白い。リアル性と小説の面白さは何の関係もない。
リアルさにこだわり、細部で重箱の隅をつつくのは、アントニオ猪木路線のストロングスタイルにこだわり、やらせを公言したエンタテイメントとしてのプロレス面白さをを否定するぐらいいびつだ。

そもそも、昔はリアルな小説が高等で、荒唐無稽な話は子供向けとでも思われていたのだろうと思われるフシがある(小説に高等も下等も無いのだけど)。
逆に、現代の若い読書家に人気の作家はリアル性にこだわっていない人が多い。伊坂幸太郎を筆頭に森見登美彦、畠中恵、舞城王太郎や西尾維新まで含めると、リアル性は初手から捨てているが、エンタテイメントとして面白い作家は若者に大人気だ。
逆にリアル性に無意味にこだわるのは、読書家とは相容れないケータイ小説。アレは「実際にあった話」を売りにする話が多いのだから。
若い世代においては小説におけるリアル性がこだわるべき対象ではなくなってきているのだ。明らかに逆転現象が生じている。

そういう若い人の動向を考えると、今は直木賞受賞小説はセールス的に成功することが多いみたいだが、団塊の世代が老眼で小説を読めなくなったとき、リアル性に固執したままでは、直木賞受賞作はセールス的にはイマイチという、今の芥川賞と同じ扱いをされる日が来るかもしれない。

新聞の文字も大きくなったのだし、団塊の世代の多くが本を読めなくなる日は遠くない。
直木賞選考委員は高齢者が多いが、高齢者の本離れがはっきりしてくるまでに変われるのだろうか?ひとごとながらちょっぴり心配だ。


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