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将棋界における情報共有と囚人のジレンマ [将棋]

梅田望夫さんのブログで「現代将棋が表現する思想」として、興味のあることが書かれていたので、将棋界における情報共有と囚人のジレンマについて素人なりに考えてみた。

梅田さんのブログから引用。出典は歩を「と金」に変える人材活用術―盤上の組織論 と思われます。
 
二宮 感想戦の話のときも、「手の内をさらすほうがいい」とおっしゃいましたが、やっぱり羽生さんとしては「共有すべきだ」という意見なのですね。
羽生 そうです。そのほうが絶対に早い。
二宮 でも、本音では反対の人もいるでしょう? 「俺は見せたくない」って。
羽生 もちろん、そういう考え方もありうると思うんです。でも、時代の流れというか、共有しないと生き残れない時代になってますから、多勢に無勢という印象はあります。気持ちはわかるんですよ。創造って、手間も時間も労力もものすごくかかるから、簡単に真似されると報われません。私も対局で新しい試みをやるんですが、ほとんどはうまくいかない。仮にうまくいっても、周囲の対応力が上がっているので厳し
いものがある。効率だけで考えたら、創造なんてやってられない。
 
羽生二冠はもちろん、志が高く、将棋の発展を願っている人だからこのような意見が出るのだと思う。
しかし、有名な「囚人のジレンマ」を考えるとなかなか情報公開は難しいのだと思えてならない(専門というわけではないので、間違いがあるかもしれません)
情報を公開することを協調、情報を隠匿し自らの勝利のみを考えることを裏切りと置き換えて考えると・・・

協調:強調→双方の棋力が向上(変化・新手を共有し、その共有結果について二人で検討して、ブラッシュアップすることができる)
協調:裏切り→裏切ったほうの棋力は向上、協調したほうの棋力向上なし(新手は共有しないので思い付きを隠したほうのみ棋力が向上する)
裏切り:裏切り→棋力向上なし(結果がまったく共有されない完全個人プレイ状態)

協調:強調関係が一番当事者間にとってはいい(棋力向上に資する)が、自分が一番メリットを享受できるのは強調:裏切りの場合(自分は情報を得て棋力が向上し、しかも、自分の秘策は温存される)という結論になってしまう。
 
ところが、現実の将棋界を見るとあまりこのジレンマが発生している感じはない。その理由を考えてみた。

1.自分の研究も棋譜という形でいずれ公表しなくてはならないので、隠匿がそもそも不可能。プロの方がどの程度棋譜を見ることができるかどうか知らないが、すべての棋譜を見ることができるなら、最初の一回を除いて情報の隠匿は不可能なので将棋界の囚人のジレンマにおいては裏切りという戦略をとることができないということになる。

2.将棋界の情報は皆が等しく持っているわけではなく、一部の強豪がより多くの正確な情報を持っている(一部強豪は新手の有力性をより正しく判断できる)。そのため、一部強豪が情報を公開する方針を採っている限り、ほかの人には情報を隠匿するインセンティブが働かない。

3.将棋界は狭いムラ(by河口俊彦)なので、しっぺ返し戦略が行われており、情報を隠匿することは結果として損になることをみんながわかっている。
 
おそらく将棋界の歴史からしてもどの要素も一定程度あるのだろう。
まず、1.の状況はネットの発達した現在では将棋界に限らず特許・著作権等法律で守られていない分野においては常識で、情報の隠匿は昔に比べて格段に難しくなっている。将棋でも昔は新手で何局も勝てたが、今は勝てるのは一局だけといわれている。
 
2.については、情報をあまり公開せずに勝ちまくったといわれているのは故大山15世名人である。大山15世の全盛期には彼と並ぶ棋士はほとんど存在しなかった(故枡田幸三九段は調子のいいときは大山15世を超える力を発揮したが、全体的に見ればその期間は短かった)ため、情報を隠匿するインセンティブが大山15世についてのみは存在したのであろう。
現在は、トッププロの一群とその他のプロの間では棋力の差はあるものの、大山15世の時代のように一人勝ちの状態ではないし、棋力格差も縮まっているので、トッププロにおいても情報を隠匿するインセンティブは存在しないのであろう。
 
3.しっぺ返し戦略については実際行われているのかどうかわからない。但し、常識的に考えると感想戦であまり有意義な情報を出さない(極端な場合はしゃべらない)棋士がいる場合は、その人には相手も情報を渡さないことで対処してきたと思うことは想像に難くない。おそらく、戦略というより常識・マナーの類としてそのようなことが行われてきたのであろう。
 
以上のように、将棋界では情報を公開することが有利に働くいくつかの仕組みがあると思われるし、その仕組みは今後も変化することはないと思われるので、「将棋のイノベーション」は起こり続けるのであろう。


これを前提として、一般の企業活動においても情報は公開するべきという流れになるかどうかを簡単に考えてみる。

まず、私は本業で情報セキュリティを取り扱っているが、セキュリティにおいては機密性が圧倒的に重視され、可用性・完全性はどちらかというとそこまで重視されていないことを考えると、現状は情報は公開するべきという流れになっていない。

つまり、将棋でたとえて言うと中原16世の全盛期以前の状態であろう。但し、意味のない因習(将棋の例だと先手で振飛車はけしからん、とか、神聖な名人戦において素人みたいな穴熊はけしからんと批判されるレベル)は無くならないまでも、グローバル化の中で減少しつつある。それでも、情報公開については情報は隠匿したほうが有利という囚人のジレンマにどっぷりつかって裏切り:裏切りの関係が続いているのである。
 
それを助長しているのが1.の要素における過度の特許権・著作権の長さであり、2.情報を隠匿するインセンティブの存在であろう。(3.しっぺ返し戦略については、主に問題となるのは一度協調関係ができた後の話なので、今回は除外)

将棋界においてここ数年で格段に戦法・理論の研究ができたことを考えると、情報は公開し、共有したほうが全体としては最適であることは間違いない。
そのためにも、特許権・著作権の議論においては各国足並みそろえて情報を共有できる仕組みが作られることを願ってやまない。
なお、情報を隠匿するインセンティブについては、特許権・著作権で守られる範囲が減って、基本的な情報を利用できるようになれば、自然と減少すると私は漠然と考えている。専門の方から見ると甘い考えかもしれませんが・・・・
 

一度情報が公開・共有され、その結果を基にイノベーションが発生するという正のフィードバックに入ると、イノベーションは加速するが、そこに入るまでは常識的にはまだまだ遠いように見える。
しかし、ここ数年の長足の進歩からすると、世間の意識が変わるのは意外と早いのかもしれない。世間の意識・流れが変わって情報が公開・共有される世の中をこの目で見ることができる日が来ることを祈っている。


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