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私が道州制による地方分権を危惧する理由 [opinion]

前のエントリ(http://book-sk.blog.so-net.ne.jp/2009-03-02)で紹介した「アフリカ 苦悩する大陸」を読んで思ったのだが、恣意的に境目を決めて、それぞれに自治権を与えるのはすごく危険だ。

アフリカの例は極端なのだが、日本で道州制による地方分権を行うと同じような弊害が出るのではないかと危惧してしまう。
自分の出身地ばかりをヒイキする政治家、小さな枠組みの中でいがみ合う住民、地域の独自性を理由にした非合理的な経済政策、首都への僻み根性丸出しで自助努力を放棄する地方……。


現在の日本で地方分権は道州制とセットで意識されていることが多い。
そして、地方分権は無条件で賞賛されることが多い。
たしかに、各道州が最大限の努力をして、自立を図るなら良いことの方が多いだろう。

しかし、今の地方自治の中枢を担うメンバーを見ていると決してうまくと断言することはできない。
例えば、ある県と隣の県が仲が悪い(そして、理由は明治維新の頃からの話とかで合理的根拠がないことが多い)といった話は地方在住者なら思いつくだろう。
また、ふるさと納税の話でもわかるように首都東京が地方から収奪しているとの世界観に支配されていて、目の前の問題に取り組まない首長はいくらでも存在する。

こうした状態で、道州制による地方分権を推進するのが本当に良いことなのだろうか?
私はそのようには思わない。

例えば、関西地方(大阪府・京都府・兵庫県・和歌山県・滋賀県・奈良県)で一つの道州とした場合、まず州都を大阪にするか、神戸にするか、京都にするかでもめて、その後でも大阪出身の政治家は京都人は腹黒いから信用できないと言い、京都出身の政治家は下品な大阪人とは一緒にされたくないと主張するような姿が目に浮かぶ。

また、良い首長が選ばれればいいが、地域の風習を理由に合理性を欠く政策を推進するような首長が選ばれる可能性も高い。現在の知事選でも、横山ノック・田中康夫のようなトンデモ知事が選ばれる確率は一定程度存在しているのだ。道州制の下で大胆な地方分権を進めると、地方が大きなダメージを負う可能性は高いだろう。

このような理由から、私は道州制による大幅な地方分権には賛成できない。
現状の行政制度に無駄が多いのは事実だが、改革するにしても都道府県単位への緩やかな権限委譲か、大幅な中央集権かどちらかの方が良いと考えている。






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